利根町の昔話

第1話-お雪哀話 第2話-狂歌師抜村 第3話-明神の絵馬 第4話-蚊帳沼
第5話-奥山の観音様 第6話1-子育て地蔵 第6話2-不思議な男 第7話-笠ぬぎ沼

狂歌師抜村

バッソン描画
布川の彦一か一休さんか!!横町に住んでいた
 「ばっそん」そのトンチ話の数々を紹介いたします。
出典:広報「生涯学習だより」「利根町昔ばなし第10話」
郷土歴史研究家ー長島平衛(著者了承済)

昔、江戸時代布川が河岸場(かしば)として栄でいだ頃、ばっそん という狂歌師が住んでいだ。

第一場

ある年の正月、ナベヤという大金持の家に早朝あいさづに行った。主 人は急ぎ起きだし「顔をふくだけでいいがら、ぬれだ手ぬぐいを持っ てきてくれ」と女中に言いつけた。顔をふきながら、ばっそんの前に 出てきた主人、よく見るとそれは手ぬぐいでなぐ、雑巾であった。朝 早く台所が暗かったので、女中がとり違えで差し出したものである。 「正月早々縁起でもねい」と主人は怒り出した。これを見でいだばっ そんは、
    ゾウキンも 漢字で書けば 蔵に金 顔も福ふく 奥も福ふく
とよんだ。雑巾なのだが、トンチで蔵金とよみ、ふくことを福とかけて狂歌によんだものである。

第二場

お百姓が田の草取りをしていだ。そごさ、ばっそんが通りかがった。

      お百姓がからかう
     「おおい、貧乏神どこさいぐだ」
      ばっそんが
     「おらあ、おめえんち(家Iへいぐだ」
     と答えだ。

これを聞いだお百姓はカアツときた。なんとかトンチで 仕返しをしてやろうと知恵をしぼる。
      ばっそんの帰ってくる姿が見えだので声をかげた。
     「おおい、福の神どっからけえって(帰って)たんだよ」
      ばっそんが答えだ
     「おらあ、おめえんちからだよ」

第三場

ある年の正月布川の金持ちのところに、あいさづに行った。女中さん がお茶を入れて持ってきたドビンがどうしたことか、つるがはずれて 割れてしまった。正月から縁起が悪いと金持ちが怒った。これを見た ばっそんは、
    正月に 鈍と貧が 立ちわかれ 後にのこるは 金のつるなり
とよんだ。

第四場

次のもばっそんの歌といわれでいる。
ある商人(あきんど)の主人「このごろは借してくれと借(かし)売りばかり、なんとかすぐ金を払って もらえる方法はねえですか?」「ではこれを店の前に貼っておぎなさい」とばっそん
    借しますと、仕入れますのに困ります。現金ならば安くまけます

しばらくして、その主人が言った「ところで大変言いづらいが、先生 の借金はいつ返(け)えしてもらえるですか?」ばっそんが答えだ。
    借りますと、もらった様に思います。現金ならばよそで買います


抜村の作品集

ここでは、作家芦原修二氏(利根町史編さん委員)の昭和52年メモ帖を引用させて頂きました。

その12 利根町大字の地名7個所を読み込んだざれ歌利根町図(84Kb) をご参照下さい。

早尾 横須賀よこさぬかよこさぬ限りは 中田切
大房お腹が 立木でも 惣新田には 加納前 (または 加納米
(H11.3.7記)

「バッソンあっちこっち」布川、藤代、流山の話

出典:広報「生涯学習だより」「利根町昔ばなし 第32話」
利根町史編さん委員 芦原修二著

このめえ福祉センターサ行ったらばヨ、そこに集まっていた人たちの 間で、「早尾、横須賀、よこさぬか、よこさぬならば中田切、大房お はらが立木でも惣新田には加納めえ」という歌が話題になってナ。こ の歌は布川の横町に住んでいたバッソンという魚屋がつくったんだと いわれていっとなア。

バッソンは狂歌がうまくて、布川や今の利根町周辺だけでなくてサ、 もっともっとひろく名が知られていたんだとヨ。これは藤代の人に最 近聞いたんだけど、高須の方サまで魚売りに行っていてネ。売り物の 鯉を値切られてつくったのがこんな歌だと。

    バッソンが声(鯉)は高須と呼びこまれ値は押切じゃ平野あやまり

高須も押切も平野も小貝川べりの当時の村名、今は藤代の大字名だからよオ、 「大房おはらが立木でも・・・」の類だっぺネ。

それがら、もっと遠いところだと流山でつくった歌もあんだよネ。 今の千葉県の流山市。あそこの赤城神社とうのは、前方後円墳みたい に独立した大きな丘の上サ立てられていてね。この丘は利根川の大洪 水の時、赤城山の一部がくずれて流されてきたんだそうだ。そんで、 あそこは流山という名がついたんだと。

そごサ遊びに行ったらばヨ、バッソンの名前はそごでもようぐ知られ ていでサ、狂歌つくってみろ、つくってみろとあんまりしつこくいわ れで・・・。

    やれやれといわれて顔は赤城山ひたいに汗が流山
とやったけど。

印旛沼岸のジュウシカ村(印旛沼の開発で十四の新しい村ができてつ くられた地域名)のあたりサ行った時はナ。沼べりの田んぼの泥で田 もんぴきを洗っているお百姓がいてサ、泥でももひき洗う馬鹿もねえ もんだナと見ていたら、色あせた紺色がみるみる濃くナるじゃねえの ヨ。びくりしたバッソンがつくった歌は

南無大師遍照紺も田で染まる
高野山(紺屋:こうや)らは何んで空海(食うかい)

説明いっかな? 高野山は弘法大師が開いた仏教の大聖地。弘法大師 のお名前は空海、というわけサネ。 2001.8.17追記

(この項と前段の用字用語が違っていますが、どちらが正しいか不明 です。また、前段と重複していますが、意味合いが分かりそうなので 掲載しました。)

この頁へいらして下さいまして有り難うございました。バッソン顔描画 さようなら。

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