利根町の歴史

利根町50年表 花輪台のビーナス 利根町の昔 つかみどりの話
利根川東遷物語 利根町地先決壊史  つく舞幻想 鬼怒川とホトトギス 一茶と利根町
赤松宗旦著「利根川図志」に見る近世の利根町概観 赤松宗旦と「利根川図志」 「利根川図志」著者年譜

花輪台のビィーナス

早尾台東のバス停留所の南側近くに小高い丘があり、海抜26.5m利根町一の高所になっている所に縄文時代早期の集落跡「花輪台貝塚」が有る。(写真:桜の花輪台)
出土品のなかに、頭や手足はないが、女性のもつ美しいプロポーションを見事に具象化した土偶があり「花輪台のビーナス」の愛称で親しまれ、我が国最古の形象土偶の地位をゆるぎないものとしている。

昭和21年の日本考古学研究所の発掘調査で、考古学研究を転換させる一大発見がなされた。当時の考古学会では、「縄文早期(12,000年前〜)は、原始的で、装飾品はなく、土偶も存在しない」と考えられたが、花輪台からは、縄文時代後期の物と比較しても劣らない骨格牙器や装飾品の猪牙製決状耳飾、貝塚有孔装飾品らと一緒に土偶が13点も出土した。

花輪台のビィーナス バイオリン型土偶
(写真は利根町史より)

ビーナス写真

土偶写真

「土偶」とは、小学館百科事典JAPONICAによれば一般に縄文から出土する素焼きの女性像をよぶそうです。 「日本最古の土偶は利根町花輪台貝塚出土の縄文早期のもので、頭部と両腕はつくり出され、胸部に乳房を 示す突出部はあるが、顔面・胸部は省略された高さ4.9Cmの小型品である。これに続く早期のものは茨城県 と愛知県に出土しているが、ほぼ類似のものである。前期のものは、出土例が少なく、東北地方北部と関東 に出土例があるにすぎない。」

立木出土土偶   土偶   奥山古墳群・立木羽根野古墳群出土遺物

布川貝塚 (利根町教育委員会史跡案内標より
縄文時代の「縄文」とは、日本で最初で発掘調査をしたエドワード・S・モースが報告書の中で、土器についた紋様が縄のようであることから「コード・マーク」とよんだことにはじまります。

縄文時代には、集落の周りの斜面や窪地などにゴミが捨てられていました。特に海に囲まれていたこの辺りでは貝殻が多く捨てられ、来見寺の境内から布川神社入口にかけて「貝塚」として今も残っています。利根町では、日本最古の土偶が出土した花輪台貝塚をはじめ、多数の土偶が出土したことで有名な立木貝塚などが存在しますが、この布川貝塚については、その詳細な事実は判っていません。しかし、小発掘調査により、主に縄文後晩期の土器、土偶、貝輪、耳飾や海女であったと思わせる骨針や製塩土器などが出土しているほか、珍しいものとして、縄文人の人骨がほぼ完全な型で出土しています。高台から、豊かな自然と海に囲まれていた当時を思い浮かべると、時の流れを感じます。

立木貝塚(利根町教育委員会史跡案内標より)
この遺跡は古くから知られておりましたが、正式に学会で紹介されたのは明治28年のことです。そのため、当時多くの採集家が小発掘を試み、その出土品は各地に分散しています。学術調査を最初に行ったのは、昭和の明治大学考古学研究室です。この調査では、縄文時代後期後半から変質し始めた関東地方の文化に、東北地方的な文化の流入が始まったことを証明するなど、相応の成績を納めました。
そうして、この遺跡を全国的に有名にしたのは土偶、土製耳飾、指輪、骨角器などの「珍品」といわれる遺物が豊富に出土することでした。特に土偶は、全国でも最多出土遺跡の一つとして知られるほどです。土偶は、祭礼や儀式に使われたという説がありますが、今でも、この遺跡の上に蛟もう神社が建っているのは歴史の流れを感じさせます。

トップページへ戻る   ページトップへ   総目次へ戻る

inserted by FC2 system