元利根町立文間小学校教諭 高塚 馨 著

栗林義長物語

第一部

物語前話

小田原の北条氏康と、関東管領である上杉憲政との勢力争いが起こり 、上杉憲政はついに戦いに敗れ、長尾景虎(後の上杉謙信)のもとへ 逃げてしまった。上杉方の上州金山城主由良信濃守成繁は北条氏に攻 められ、足高城(伊奈町)の岡見を頼って落ちてきた。由良氏が岡見 家に入ったことを知った北条氏康は当然のことに岡見家と対立するこ とになるのである。

天正元年春、両軍は利根川を挟んで陣をひいた。足高連合軍は、戸頭 台と取手台宿に約一万騎、小田原軍は、布施の弁天や大山村、打込な どに四万余騎の大軍である。しかし、五月雨で利根の水は増し、どち らも仕掛けることもできずに、にらみ合ったままいたずらに月日は流 れていった。あまりの長陣に両軍はくたびれ、その上、近年の不作で 互いに兵糧はつきてしまった。しかも小田原勢は安房の里見や下野の 結城などに後方をつかれる恐れがあり、足高軍も、佐竹(水戸)と戦 っている小田(土浦)が敗れれば佐竹・多賀谷(下妻)の連合軍がど っと押しよせてくる気配がある。足高軍はついに小田原軍に和睦を申 し入れ、北条氏に忠誠を誓った。北条氏直も足高に入った由良を許し 、金山城主とすることを承知した。

主な足高連合軍

 岡見宗治(足高城)  豊島紀伊守(布川城) 岡見頼房(牛久城)  
 岡見主殿介(谷田辺城)染谷民部(弓田城)  横瀬尾張守(菅生城)
 土岐弾正(内守谷城) 土岐山城守(長谷城) 相馬小治郎(守谷城)
 土岐大膳(竜ヶ崎城) 土岐伊予守(江戸崎城)月岡玄蕃((板橋城)
 高城兵庫(小金城)  荒木三河守(柴崎城) 豊島肥前守(布佐城)
 由良信濃守(金山城) 菅谷左衛門(藤沢城 土浦城)                 

その他の登場人物

多賀谷政経・多賀谷重経(下妻城)   田村弾正(水海道城)
北条氏輝(八王子城) 北条氏堯(小机城) 千葉頼胤(佐倉城)
大須賀尾張守(大須賀城)         原肥前守(小林城)     

栗林義長系図

八重(狐)⇔忠五郎の間に出来たという三男竹松の子(幼名を竹千代 という)栗林左京之亮の養子となり栗林義長を名乗り従五位下総守と なる。 

野狐の恩返し

根本という里に名を忠五郎という若者が母親と二人きりで住んでおり ました。家はびんぼうな百姓だが情けぶかく正直で親孝行な人でした。 ある日のこと、母親の薬を買いに遠く土浦の城下まで出かけた、その 帰り道のことです。根本が原にさしかかったとき、一人の猟師が弓に 矢をつがえ何かをねらっています。何であろうと矢の先を見ると大き な狐が一匹、さも気持ちがよさそうに眠っているではないか。情けぶ かい忠五郎は今にも殺されそうな狐を見ると急に可愛そうになり、思 わず「ゴホン」と大きなせきばらいをしてしまいました。その声に驚 いた狐はすぐに目を覚まし、草むらの中へ素早くにげこんでしまった。                

「やい、そこの唐変木なぜ狐を逃がした」「いやけっしてそんなつも りでは」「なにを寝ぼけている。おまえがせきばらいをしたため、狐 が逃げてしまたではないか。」「それはそうでございますが。なにも わたしはわざわざせきをしたわけではございません。つい、風邪気味 なものでして。」「わざわざでなくてあんな大きなせきが出来るもの か、ばか者。この損害をどうしてくれるのだ。」「しかたがございま せん。弁償させていただきます。」ここに二百文ございます。これで どうかごかんべんくださいまし。」忠五郎はあり金ぜんぶ猟師に渡し 、やっとかんべんしてもらって家へ帰った。

その日の夕方のことです。五十歳ぐらいの男が二十歳ぐらいの女をつ れて忠五郎の家を訪れ、「われわれは、奥州の者でこれから鎌倉まで 行くつもりだったが、日が暮れ道に迷って困っています。何とぞ今夜 一晩おとめいただくわけにはいかないでしょうか。」と涙を流して頼 むのでありました。

もともと情けぶかい忠五郎親子のことであります。「ここから鎌倉ま では遠い道のり、しかもこんな山の中のこと、女をつれての旅はどん なあぶないことがあるかもしれません。こんな所でよかったらどうぞ 一晩お泊まりください」と親切に一夜の宿を与えるのでした。

次の朝になりました。忠五郎はふと女のむせび泣く声に目をさましま した。女に近づき「どうなされた娘さん、どうしてそこで泣いている のです。」とやさしくたずねました。すると女は「私は奥州岩城郡の 者で八重と申しますが、幼いころに母をなくし、今また父が急な病に たおれ、近くに身寄りの者もないので、長く家で奉公していた番頭を 供につれて叔父の住む鎌倉まで行こうとようやくここまでたどりつい たのです。ところが昨晩番頭があり金を全部持って逃げてしまったの です。これからどうしたらよいだろうと困って泣いていたのです。」                 

「それはお気の毒に困りましたね。」「忠五郎さん誠に申し訳ないの ですが、もうしばらく私をここへおいて下さい。どんなつらい仕事で も必ずやり遂げますから。」「そうですか。それならしばらくここに いるがよい。時期をみて私が鎌倉まで送り届けてあげるとしよう。」 忠五郎はやさしくいたわりのことばをかけるのであった。

さて、この娘、前から見ても横から見ても、どこからながめてもこの 世の中にこれほど美しい女はいないであろうという程の美人でありま す。その上利口でよく気がつき仕事をさせれば野良仕事でも、はたお りでも人一倍上手なのです。忠五郎も母もすっかり気に入ってしまい ました。

忠五郎と八重の結婚

(原文は細かく描写していますが、簡略化しました)
そうこうしているうち、月日はながれ、忠五郎は八重に想いを寄せる ようになっていった。そして隣家の弥兵衛が仲人に立ち二人は晴れて 夫婦の縁を結び一緒に暮らすことになったのである。その二人の仲の よいことと言ったら、とてもまともに見ていられないほどでした。

八重の失敗

何年かたち、つるが七才、亀次郎が五才、竹松は三才になりました。 ある秋の日のことでした。忠五郎は畑に行き、母は隣家に用足しに行 き、八重は家で機織り、兄弟たちは外で元気に遊んでいました。その うち、三番目の竹松はねむくなったのか遊びもあきて急に泣きだしま した。八重は竹松を膝にのせておっぱいを飲ませました。やがて竹松 はいい気持ちになって眠ってしまいました。八重は竹松を布団にねか せると自分もそのわきにつきそってしばらく横になっていました。そ こには心地よい秋風がそよそよと入り込み、庭には白や黄色の菊花が 咲きみだれ、どこからくるのか、気持ちよいこけの香りがあたりにた だよってくるのでした。ただぼう然としていた八重はいつしか本性を 現し知らぬまに野ぎつねの姿に変わっていたのです。

それを見つけたつると亀次郎はおどろいて「あ、かあちゃんがきつね になってしまった。」といって泣き出してしまいました。その声にお どろいた母親は正気にもどり、「なにを寝ぼけている、かちゃんはこ れこの通り人間ではないか。」とすっくりと立ち上がりました。しか し、子供達からみればきものだけ人間のもので、顔、形はもうすべて 野ぎつねそのものでした。あわれ、八重は二度と再び人間の姿に立ち 帰ることはできなくなってしまったのでした。

泣き叫ぶ子供達のまえにていねいに手をついて、頭を下げた、きつね の姿に変わった八重は、「私は確かに野ぎつねです。むかし、狩人に うたれて死ぬところをあなたたちの父上に助けられ、そのお礼をしよ うと人間の姿に身をかえて、ここの家の手助けをしているうち嫁にな らんかと持ちこまれ、その時は本当のことを話して断わろうと思った のですが、あまりに喜ぶ忠五郎さんの顔を見ると断ることが出来なく なってしまったのです。

そこで心ならずも忠五郎さんと夫婦となり何年か一緒に過ごすうちに とうとうあなた方三人の母親となってしまいました。わたしは人間と して、あなた方の母として一生を送りたかった。でもこうしてあなた 方に私の本身を見られてしまったからにはもう二度と人間の姿にもど ることは出来ないのです。こんないやらしい姿をあなた方に見られて しまって本当に恥ずかしい。これから先一体どうしたらよいのでしょ う。」と頭をかきむしり、大声を出してわめき泣き叫ぶのでありまし た。

(中略)やがて野ぎつね八重は今はこれまでと覚悟を決め、すずりと 筆を取り寄せ、すらすらと何か言葉をしたため、それを竹松のそでに 結びつけてさっと野原の中へ走り去ってしまいました。

忠五郎と八重涙の別れ

やがて忠五郎は畑から帰ってきましたが、「かあちゃん、かあーちゃ ん。」と泣きさけぶ声にびっくりして子供達に問いただすと、事の意 外さにただぼう然とし、しばらくは口もきけないありさまでした。 「竹松のそでに何かついてる。」という亀次郎の声に、忠五郎はその 紙を手にとり、急いで開いてみました。それには女文字でつぎのよう なうたが書かれていました。

「みどり子の母はと問わば女化の原に泣くなく臥すと答えよ。」おと うさんが帰ってきておまえの母はどこえ行ったのだと聞くだろう。そ うしたら、母は人間の姿にもどることができなくなってしまって、も うこの家で一緒にくらすことが出来なくなってしまった。それが悲し くて悲しくて女化の草原の中で泣いている。と答えなさい。という意 味 

その時の忠五郎のなげきはどんなであったろうか。そこへ母も帰って きましたので今までのことを母に話しました。母も大変おどろいて、 「そうか、あの娘は本当はきつねであったか。しかしたとえきつねで あろうが決してわたしは気にしない。もう何年も仲良く一緒に暮らし た仲だ。それに三人の孫もあることだし、すぐに行ってつれもどして 来なさい。」と涙ながらに言うのでありました。

忠五郎は母の言葉で気をとりもどし、早速三人の子供を連れ、ずっと 前きつねを助けてやった場所に行きました。あたりをくまなくさがし 、やっと古い一つの穴を見つけました。「あった、あった。きっとこ こにちがいない。」と確信した忠五郎はさも人に向かって言うように 、「お八重、もしおまえがここの中にいるならば、どんな姿でも決し てびっくりしないから出て来ておくれ。子供達もわしもおまえを恋い したっているのだ。もし一緒にすめないというならばそれでもよい。 せめてこの竹松が七才になるまででいいから家へ帰って来ておくれ。 」と叫びました。

すると穴の中から「わたしもあなたと、思っていることは同じです。 かなうことなら、いつまでもあなた達と仲良く暮らしていきたいと思 っています。でも一度畜生にもどってしまったわたしは、もう二度と あなたの家へもどることは出来ないのです。どうか三人の子供達をよ く育てて下さい。わたしは必ずあなたの子孫の守り神となります。ど うかこのままお帰り下さい。」という声が聞こえました。

忠五郎は答えて言いました。 「それなら仕方がない。この世のなごりに今一度本当の姿を見せて、 子供達と話をし、幼ない竹松には乳をのませてやってくれ。」 「わたしもそうしたいが二度と人間の姿になることはできないのです。」 「いや、どんな姿でも決しておどろいたりさげすんだりしないからど うか出て来て下さい。」
「では本当に、どんな姿でも決しておどろかないというのですね。」 と言うと穴の中から顔を出し、子供の顔をチョロリとみると、きつね の姿でとび出し、何処ともなく走り去っていってしまいました。忠五 郎親子はきつねの走り去って行った方を眺めながら、いつまでもいつ までも立ちつくして泣いていました。

以上の、 第一章 野狐の恩返し、第二章 忠五郎と八重の結婚、第 三章八重の失敗第四章 忠五郎と八重涙の別れ でこの物語の序章は 終わり、これから本編に入る訳です。何とか簡潔に切り上げ本題へと 気は急いだのですが、書いてるうちどうしても略す事が出来ませんで した。わずかに第二章を大幅に省略したのみでした。   ―高塚先 生の力作は省略するには惜しいし、またその箇所すら見つかりません でした。涙の押し売りで申し訳ありませんが、私はこれを書いていて 涙が出て仕方がありませんでした。ペットを飼っている人は分かると 思いますが、動物(獣という言葉は嫌いです。)だって一生懸命考え て人間に何かを訴えているのです。

私は猫を飼っております。何かをしてもらいたい時には催促(手を伸 ばし顔をひっかきに来る。)するか、または、ジーッと私の顔を見つ めるのどちらかです。言葉が通じないのが哀れなのです。私は猫の要 求には殆ど100パーセント近く応じています。その様な訳で立場、 状況こそ異なりますが忠五郎とその母の気持ちが良く分かる気がしま す。皆さんもそう思いますでしょうか?

千代松(主人公)の誕生

月日の流れるのは早いもので三人の子供は無事に成長し、あの時幼か った末息子の竹松は京都の三条通りに住まいをかまえ、一人の子供を もうけました。そして名前を千代松とつけました。この千代松は生ま れつき非常に利口な子で一つ教えると十のことを知ってしまうくらい で、七才から学問をはじめましたが、読み書きそろばんをはじめ、そ の他すべての学問をたちまちのうちに収得してしまいました。

千代松の修業

ある日のことでした。父は千代松を近くに呼ぶと、「わたしの生まれ たところは常陸国河内郡根本村というところである。」とむかしの話 を聞かせました。それを聞くと千代松は寝ても立ってもいられず、「 どうしてもそこへ行って祖父たちにあいたいのです。ぜひ行かせてく ださい。」とむりに父に頼むのでした。「それなら行ってみるがよい 。だが、そこは大部遠い所であるから気をつけて行くがよい。」と二 人の供をつけてくれました。ところがふとしたことで二人の供の者と けんかをしてしまい、一人で旅をしなければならなくなってしまいま した。

そのため途中で道に迷い木曽の山奥に入ってしまったのです。道なき 道を一人とほうにくれて歩くうち、やっと一軒のあばら屋を見つけま した。「やれ、たすかった。」と喜んで内に入ってみますと、一人の 老人が熱心に本を読んでいました。「道に迷って困っています。どう か一晩この部屋のかたすみに宿めて下さい。」と千代松は頼みました 。老人は後ろを振り向いたがそこに立っているのがまだ十二、三才の 若者であるのにびっくりし、気の毒に思って宿めてくれることになり ました。老人はその若者がとても利口そうな顔をしているので、ため しに一冊の本を読ませてみました。すると実にすらすらと読むのでさ らにびっくりしてしまいました。

老人は千代松を大変気に入り、ここでしばらく宿めておいて剣道やい くさの仕方天気予報の仕方まで知っていることをすべて教えてくれま した。その上、柳水軒義長という名前までつけてくれたのです。この 老人こそ、誰あろう、あの有名な羽柴秀吉の恩師である竹中半兵衛の 師、柳水軒白雲斉でありました。

五年の間、白雲斉のもとでみっちり修業をつんだ千代松は、身体もガ ッチリと整い、みるからに立派な若者になっていました。名を義長と 改めた千代松は、やがて白雲斉に暇をいただき東へ向かい父の実家へ と急ぎましたが、そこにはもう実家はなく、何処かへ引越したあとで した。

仕官への道(前編)

義長はこれから先どうしたらよいだろうか、と考えながら歩いている と、そこにあまり大きくもないお城があった。若柴城である。「よし 、今は、戦乱の世だ。木曽山中で学んだことを試すには武士になるよ りない。羽柴秀吉だって元を正せば百姓の子せがれであったではない か。それが今は織田信長の一方の大将となっている。彼に出来たこと がこのおれに出来ぬことはあるまい。天下をとるか、雑兵で終るか、 一つこの城にかけてみるか。」と門前に来て案内をこうた。

「わしはある者のまわし者もので、この城の様子をしらべに来たのだ 。いますぐわしをつかまえて、御大将の前へ連れてゆけ。」おどろい たのは家来の連中で、自分から間者だと名乗る馬鹿なやつは今まで見 たことも聞いたこともない。「よし、おまえの望むようにしてやる。 今のうちに首をよくさすっておけ。」と城内に義長を連れていき、城 主栗林左京之亮の前へと引きつれていった。

左京之亮は義長をじっとながめた。まだ十七、八の若者で顔は美男子 であるが、体つきは筋肉りゅうりゅうとしていて、いかにも鍛えぬい たというかっこうである。「その方ある者の回し者で、この城の様子 を調べに来たというのは本当か」「はい、しかと左様でございます。 」「その方に頼んだという者は何者なのか、言えるか。」「はい、仕 方がございません。はくじょういたいます。」「うん、実に素直なや つじゃ、それはだれだ。」「柳水軒義長という者でございます。」

「うーん、聞いたことのない名だが、その者は一体何処の者か。」 「ここからもっとも近くの者でございます。」「なに、この近くだと 申すのか。ばかめ、この近くにそんな城主はいないわ。」「いや、ま だ城はもっていないのです。でもそのうちきっと持つと言っています 。」「ほう、そうするとその者は山の中に穴でもほってかくれている のだな。」「いや、かくれていません。堂々と殿様の前に立っていま す。」「ばか者、それはおまえのことか。」「そうです。」「そうで すもないわ。間者というから他の者に頼まれたと思ったわ。」「はい 、ですからわたしがわたしに頼んだのです。」「あきれたやつだ。そ れで何を調べようというのだ。」「はい、殿様がどの位立派なのかを 知りたかったのです。そしてわたしがつかえてよいと認めたら、家来 になってやってもよいと思ったのです。」

「なに、それではあべこべではないか。まあよい。それでどうじゃ今 このわしを見て合格点がとれそうかどうか言うてみよ。」「はい、第 一印象ではまあまあではないかと思っています。」「まあまあか、ハ ッハッハッハ。しかしおまえがわしに合格点をつけても、わしがおま えに合格点をつけなければおまえはここにいられぬではないか。」「 そうです、その通りです。でもご安心下さい。わたしは必ず合格しま す。ですから、今から何なりと私をためしてみて下さい」「おお、よ い度胸だ。おい、だれかこいつに木剣をわたしてやれ。」

仕官への道(後編)

そう言うと左京之亮は余り強くなさそうな家来を相手に選んでたち合 せた。左京之亮は義長を自分の家来にしてみたいとおもったので、あ まり強い家来を出して義長が負かされてしまってはまずいと考えたの である。しかし、その心配はするに及ばなかった。一番手を簡単にあ しらい、二番手、三番手の相手も問題にならなかった。左京之亮の気 持ちは微妙に変化してきた。はじめは義長を負けさせまいと思ってい たのだが、急にむかむかとしてきた。―どうしても負かしてやりたい 、どこの馬の骨かわからぬやつに、自分の家来達が次々に破られてい くのが腹だたしくなってきた。

「だれかこの男をぶちのめしてやれるやつはいないか。」とどなった 。そこへ進み出たのが海老原治郎という者。身長一メートル九十セン チ以上で、体重百四十キロ、まるで相撲取りのような大男である。「 よし、わしが相手になろう。」とのっし、のっしと出て来た。義長は 相手の体があまりにも大きいのでびっくりしたが、今更逃げ出したの ではせっかくここまでやって来たのが何にもならない。天下をとるか 、雑兵で終わるか、ここできまるのだ。「天下か雑兵か。天か雑か、 雑か天か。」義長が口の中でもぐもぐやっていると、その近くでそれ を聞いていた雑兵たちが、「おいおい。あいつ、海老原殿が出ていた ら、あんまり体が大きいのでびっくりして気がおかしくなたらしい。 天から象がふってきた。なんてて変なことを言い出したぞ。」とここ そこそ言っている。

義長は考えた。木剣で試合をして、もし万一わしの頭をたたかれたら 、それこそわしは死んでしまう。また反対にこっちが勝ったとしても 殿様にいい感じを与えそうもないぞ。それよりもいちかばちか、相撲 で勝負をつけてやろう。「おお、あなたはなかなかいい身体をしてい る。しかし剣術ではわしのほうが数段上だ。わしになぐられて死んで しまっては折角親にもらった立派な身体がもったいないだろう。それ よりもその身体を戦場で生かせばここの殿様のために、どれだけため になるかわからない。

「そこでものは相談だが、どうだい、相撲で決着をつけようではないか。」
「なに、相撲で勝負だと。このおれにか、ワッハッハッハ。」これを聞くと回りのものは更にびっくりした。剣術なら勝てる見込みはあるが、相撲ではあの海老原殿にどう引いきめにみても勝てる道理はない。なにしろ海老原殿にこの近辺で勝った者は一人もいないのだ。あの男は気が狂っている。気の毒にになあ。今あいつは海老原殿につきとばされて死ぬか。それとも大けがをするか、わしは見ていられないよ。とわあわあ騒ぎ出した。

いよいよ場内に仮の土俵がつくられ、二人はその上に上がった。義長も身体は鍛えてあるから肩あたりは筋肉隆々としてがっちりしているが、海老原治郎と比べたら問題にならない。どう見ても大人と子供である。行司は小川雅楽之助がつとめ「そうほう見合って。」と言ったときである。「待った。」と義長は両手を前に広げた。「何だ、こわっぱ。今になって恐ろしくなったのか。降参というなら止めてやってもよいぞ。」と言った。

「いや、止めてくれと言うのではない。一つ条件があるのだ。それは勝負は一回きりにして貰いたいということだ。」「あたり前だ、お前はどうせ一回で死ぬか背骨を折るか、どっちかだ。二回も三回もやってたまるか。」「今のことばをお聞きになりましたか、行司さん。」「ああ、わかった、わかった。わしは公平に審判をしてやるぞ。では見合って見合って。ハッケヨイノコッタノコッタ。」とというて二人は同時に立ち上がった。

そして二人はぶつかった。見物人は「あっ」といって目をつぶった。義長はぶつかったと同時に四・五メートルもふっとばされてのびてしまったと思った。ところが義長はぶつかるとみせてさっと右にとび、左の足で相手の右足をはらった。けたぐりである。海老原治郎の方は義長を一ぺんで突出してろうと力一杯ついたところが、そこに義長の体はなく、しかも思い切り右足をはらわれたからたまらない。スッテンドウと前に倒れてしまった。

見物人が目を開けたところが、転んでいるのは義長でなく大男の方だから二度びっくり。「何という男だろう。今までだれにも負けたことのない海老原殿を一瞬のうちに倒してしまった。あれは人間でない。神か仏か。それともきつねかたぬきが出てきてばかしたのかもしれない。」ともう一度義長の顔をあ然としてながめるのであった。倒された海老原治郎の方は悔しさと恥ずかしさで真っ青になり「よし、もう一度。」とどなった。

義長若柴城主となる

「おやそれは約束がちがいます。確かにあなたは一度だけと約束したはずです。そうでしたね、行司殿。」「そうだ、確かに海老原殿。貴公は一回きりと約束したぞ。あきらめよ。」「さすがは行司殿、公平な審判いたみいります。まあそんな訳ですから海老原殿悪く思わんでください。実をいうとあなたともう一度相撲を取ったらわしは必ず負ける。いや何度やっても同じこと、わたしには勝てるわけがないのです。

これが作戦というものです。戦争だって同じこと、いくら敵は多勢で味方は無勢でも作戦しだいでは勝てるのです。ところがその作戦がうまくいったからとて、相手も二度とその手はくわず別の方法で攻めてきます。そこでこちらも別の方法を考えていく。これが勝負の分かれ目なのです。如何ですかな。」こういわれると、海老原治郎、もともと気はすっきりしている人ですから「わかりました。わたしの負けです。」と自分の負けをあっさりと認めた。

これを見ていた城主栗林左京之亮は感心して、「あなたはとても立派な考えを持っておられる。この近くの者ではないでしょう。どこからおいでなさいました。」とたずねた。

「いや、私の先祖はこの近くの根本が原というところに住でいたのですが・・・」と京都からこちらへ向かう途中、白髪の老人から学問や兵法を学んだことや、祖父たちがどこかへ引越してしまったことなどを包みかくさず、ていねいに話した。この時はもう義長は人を馬鹿にしたような態度は一つも見せず立派な人格者にもどっていた。

「そうでしたか。そんな方とは知らず大変失礼いたしました。そこで今度はこちらから改めてお願いいたします。どうか、私の家来になってください。」と左京之亮はていねいに頼んだ。義長はその場から一メートルばかり後ろへさがると地面に手をつき、「ありがとうございます。今までの無礼は平にご容赦下さい。」とていねいに頭を地面にすりつけける程にして言った。

「そんなに頭を下げないで下さい。あなたのような立派な家来をもててわしは幸せな男だと思っているのだ。そこでその役目だが、わしの軍師になって兵を指揮していただきたいと思うのだがどうかな。」これを聞いて義長飛び上がって喜ぶかと思ったら「それはいけません殿様。物には順序というものがございます。今日やってきたばかりの男に軍の指揮をまかせるというような殿様がどこにありますか。もしわたしが敵のまわし者で、あなたを落とし入れるためにここへ来たとしたらどうします。」

「その心配はない。わしも小国といえども、やせてもかれても一国一城の主だ。そなたが敵のまわし者かどうかは一目見ればすぐわかる。あなたは決してそんな者ではない。」「信用していただいてありがとうございます。わたしは決して敵の回し者でないことは神に誓って断言します。しかし、軍師になることはおことわりいたします。」「それは何故かな。」「わたしが軍師になりますれば。今まであなたの家来であった方々はどう思うでしょう。今まで下積みから死にものぐるいで一生懸命殿様のために仕えてきたのに、今日来たばかりの若僧に軍師などになられたのではその方たちの面子がたちません。だからその方たちは決してわたしの言うことなど聞かないでしょう。

そうなればいくらわたしがよい作戦をたてても部下の者が働かなければ何にもなりません。だからわたしを軍師にするのはおよしなさい。」「しかし、わしは今までこうと決めたことは必ずやり通した男だいやだといってもわしも男だ。絶対に引かぬぞ。」

(殿様も一歩も引かぬ構えでもめたのだが海老原治郎が中に入った)
「殿様も、義長殿もきいてくれ。こうしたらどうでしょうか。義長殿は軍師ということではなく、普段は足軽でいて、いざ戦争という時は殿様の付け人となり、殿様にいろいろと知恵をさずけるということにするのです。」なる程それはよい考えじゃ。どうじゃ、義長それならよかろう。」「はあ、それならよろしいかとぞんじます。」「よしきまった。それではさっそく一杯やるか。」ここでめでたく義長は、軍師ではない軍師になってしまたのである。

その後、義長は栗林左京之亮の側につき、あらゆる戦場に出て左京之亮に助言をしたので彼の軍は一度も敗戦のうき目をみたことがなかった。左京之亮は益々義長の才能にほれ、とうとう自分の養子として若柴城の城主をつがせたのであった。

義長総大将となる

天正4年、守谷城内では大将の北条氏堯が守谷城主相馬小次郎胤房をはじめ弓田城主・染谷民部、菅生城主・横瀬尾張守、牛久城主・岡見宗治、江戸崎城主・土岐伊予守、竜ヶ崎城主・土岐大膳、布川城主・豊島紀伊守、守谷の土岐弾正など諸将を集めて会議の最中である。

下妻の多賀谷政経が、このところ勢いが強くなり近くの城を次々と攻め取り、今水海道に陣をかまえ、いよいよこの下総へ攻めてくる構えをしている。今のうちに討ち亡ぼしてしまわないと大変なことになるというのである。
(利根町の昔) 多賀谷征伐(天正4年)をどうぞ。)

「ところで、多賀谷を攻める総大将だが。」と氏堯は話し出した。「足高の岡見の家臣で栗林治郎という者がいるであろう。わしはその者にやって貰いたいと思うが、みなはどうかな。」席はざわめきだした。

注)ここにきて、ようやく「利根町の昔(戦国時代)」との連がりができてまいりました。栗林義長物語の後編に入ります.両方を読み比べて下さい。栗林治郎という者がいることはしっているが、まだ見たこともない若輩である。そこで先ず牛久城主の岡見宗治が話し出した。「確かにわが方の家来に栗林治郎という者がいますが、まだ若者でとても総大将などという大任が果たせるような者ではありません。氏堯殿はどうして栗林ごときに目をつけられたのか、またどうして名前を知っていたのかお聞かせ下さい。」「みなが不審に思うのはもっともだが、実は昨夜わたしが眠っていると、その枕もとに白髪の老人が現れ、『敵を亡ぼそうとするならば岡見の家臣で栗林治郎義長という者がいるから、それを総大将にしてみなさい。そうすれば必ず勝てる。絶対に疑ってはいけないぞ。』と告げて消えたのだ。わしはそれを信じたいのだ。どうかみんなわかってくれ。栗林を総大将にしてくれまいか。」氏堯にそう言ってたのまれると、だれも文句は言わなかった。

さっそく氏堯は栗林治郎を近くに呼出すとそのことを告げた。おどろいた義長は「それあ誠にありがたいことではあるが、わたしのような若輩者を総大将にするなどとんでもないことでございます。まだまだ他に立派なお方達がたくさんいるではございませんか。」と断わった。「いるにはいるが、今度だけはどうしてもおまえでなければならないのだ。」と氏堯は昨夜の夢枕の話をし、納得させようとした。「いかに夢のお告げとはいえ、わたしのような若者を総大将などにしたのでは敵の軍勢に笑われます。どうかごかんべん下さい。」この時、そばにひかえていた江戸崎城主土岐伊予守が一歩進み出た。

「栗林殿、遠慮せずに引き受けなされ。昔から夢のお告げを信じたため、あぶない所を助かった例はいくらでもある。あなたの実力を発揮するにはいい機会ではないか。わしもみっちり力になるぞ。」とはげました。そこで、「その様に皆さんが望んでくださるなら微力ながらこのわたしお引き受けいたし、一生懸命やらせていただきます、」とやっと承諾した。

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