利根町の昔話

第1話-お雪哀話 第2話-狂歌師抜村 第3話-明神の絵馬 第4話-蚊帳沼
第5話-奥山の観音様 第6話1-子育て地蔵 第6話2-不思議な男 第7話-笠ぬぎ沼

明神の絵馬

(旧立木村のはなし)元文間小教諭 高塚 馨氏が児童用に書かれた
「利根町昔ばなし」より抜粋掲載しました。(著者了承済み)

「おーい。ゆんべ(昨晩)も馬が稲を食ったどよう。」「しょうねえ なあ。どこの馬だっぺ。」「おめえらいの馬だねえが。」(おまえさ んの家の馬ではないのか。)「とんでもねえ、おらいの馬は、ゆんべ は、馬せん棒(馬が逃げないように入り口に、何本か横にかけておく 棒)を懸けて、綱つけて、ひとばんじゅう見張っていただ。ぜったい におらが(おれの家の馬)でねえぞ。」立木村は大変なさわぎです。 どこへ行っても、このさわぎでもちきりである。

さわぎのおこりは、夜になると、どこからか馬がやってきて、稲を食 べてしまうというのです。しかも、不思議なことに、その馬はどの田 んぼの稲でも食べるというのでなく、明神様の御供米田だけねらって くるのです。 みんなは寄り合いを開いて相談しました。その結果つぎのようなこと を、ききめました。
1.自分の家の馬は 馬せん棒に 釘を打ちつけそのうえ 馬にはた ずなをつけてしばっておき、ぜったいに出られないようにすること。
2.毎晩、5人ずつ交代で 御供米田の番をすること。
番を始めてから3日たちました。でも馬は現れませんでした。4日、 5日と立ちましたが、馬は、出てきませんでした。6日目は雨でした 。「やれ、やれ、今夜は雨だ。いくら畜生でもこの雨では食べにくる ことはないだろう」その晩は、田の番をとり止めました。

ところが、次の日の朝のことである。みんなは、その田に行ってみて びっくりしました。馬は余程腹がへっていたとみえて、いつもよりも 広々とした場所の稲が食べられていたのです。「何としつこい馬だろ う。」「それにしても利口な馬だな。雨の日は、番をしないだろうと 知って、ねらってやってくるなんて。」みなは、わいわいと勝手なこ とを話していました。

そのとき、「おーい。馬の足跡があるぞ。」と一人が、どなった。 「よし、みんなで その足跡を たどって行ってみよう。そうすれば 、どこの家の馬か分かるかも知れないぞ。」みんなは 足跡を見つけ ながら歩いて行きました。ところが、蛟もう神社門宮の所までくると 足跡がピタリとなくなってしまいました。いくらさがしても、一つの 足跡もないのです。

「おかしいなあ。ここから羽が生えてとんで行ってしまったのではな いか。」「ばかばかしい。馬に羽が生える訳があるもんか。」みんな はきつねにつままれたように、ぽかんとしてそこに座りこんでしまい ました。

それから何分くらいたったろうか。一人が突然大声をだしました。 「おーい。いたぞ。」「なに。いた。」「どこだ、どこだ。」みんな は大さわぎをして立ち上がりました。「そこだよ、それ。」とその男 の指さした方を見て、みんなは大わらいしました。それもその筈です 。それは絵に書かれた馬だったのです。

「与平どん(さん)じょうだんはやめろよ。絵にかいた馬が歩きだす 訳がないじゃないか。」しかし、その時、また別の男がどなった。 「おーい。みんな見てみろ。この馬の口に,わらくずが、くっついで っと(ている)。」「なるほど。おや、そう言われて見ると、4本の足 にどろがついてるぞ。」こうなると、今まで笑っていた人たちも真け んな顔になってきた。
「そう言えば、この絵は 何とかいうえらい絵かきさんが かいたも のというではないか。」「そうよ。今をときめく、狩野元信という名 人がかいたものよ。」

狩野元信という人は、室町時代の中頃の漢画家(中国の宋と元の時代 にはやった水墨画を主としてかいた絵)の名人だった狩野正信のこど もで、ちちのかいた漢画に大和絵のよいところを取り入れて新しい大 和絵と呼ばれるはどの日本的な漢画をかいた絵の名人なのです。

「へエー。そんなえらい人の書いた馬なのか。それじゃ、夜に出歩く かも知れないなあ。」「ところで、これからどうする。このまゝにし ておくと、稲は、みんな馬に食われてしまうぞ。」「そうよなあ。い くらなんでも、そんなにえらい人のかいた絵をこわすわけにもいくま い。」

みんなは、腕を組んで頭をひねりだしました。その時、ひとりが、ひ ざをポンと打って口をだした。

「どうだろう みなさん、この馬には たずなが付いていない。だか ら歩きだすのだ狩野様にお願いして、たずなをつけていただいたらど うだろう。」「うん。それは名案だ。」「それがいい。」「それがい い。」と、みんなは賛成しました。

さっそく、名主の市兵衛が代表になって、京の都へ行き、狩野元信の 家をたずねました。元信は、わざわざ玄関まで名主を出向かえると、 「おそかったな市兵衛どの。」と言った。「はっ。」と市兵衛は言葉 につまった。あれだけ急いで来たのに、おそかったとは? それにし ても、なぜ、この人は、わたしがこゝへ来ることを知っているのだろ う。不思議な人だ。と思いながら「おそれながら元信様は、わたしが こゝへ来るということを、どなたにおきゝになりましたか。」とたず ねてみた。

「いや、だれにも聞かぬぞ。」「きかないで、どうしておわかりにな ったのですか。」「そんなことは とっくにわかっておったわい。そ れに、あなたがここへ来た用件も知っていますよ。」「おや、用件も ごぞんじとおっしゃいますか。」」そうです。あててみましょう。馬の たずなのことでしょう。」「へえーい。これはおどろいた。先生は千 里眼(どんな遠くでも見える目)ですか。」「いや、そんなものでは ない。だが、もう、とっくに知っていたのだ。」「どうしてでござい ます。教えてください。」

「では、話してあげましょう。実は、お前さんの村へ行ったとき馬の絵 を書いた。明神の神に祈りながら、心をこめて一生けんめいかきまし た。その時わたしは、わざと馬に、たずなをつけなかったのです。」

「どうして たずなをつけてくださらなかったのですか。そのため、 わたしの村は、たいへんなことのなってしまったのですよ。」「わか っています。わたしは あの馬の絵に一生をかけるつもりだったので す。もし、あの馬の絵が、たずなもついていないのに、どこさへも出 歩かないようだったら、わたしはもう、絵をかくことをやめようと思 ったのです。だから、わたしは、あなたがいつ来てくれるか。きょう か毎日々待っていたのです。ありがとうよ。本当によくきてくれまし た。元信の目からは 涙が止めどもなく流れるのでした。

市兵衛は こゝにおいて あらためて元信の偉大さを知り、感心する のでした。元信にたずなをつけられた馬の絵は、その後、二度と稲を 食べに出歩かなくなった。そして、今もまだジッとして門の宮の中に いるのです。おわり (もと 北相馬郡志)

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