まえおき
このページは「狂歌師抜村」の旧作(HP作成ソフト使用)と新作の、外部スタイル「フアイル,css 」 を使用し、全文MSメモ帳作成のものとを比較検証するためのページです。

前の「仮想社会」では、文章が短いこともあって、ページ全体で段落タグの <p> </p> を2組位しか使用しませんでした。今回のページは、使用する文字のスタイルが1行ごとに変るので 段落タグの <p> <div.pink>・・・などが交互に、そうして頻繁にでてきます。そういう こともあってこの作品を選んだのです。

何故、使用する文字列(文章)をわざわざと <p> <h1〜6> <div> などの枠組みに押 し込めてしまうのでしょうか?。ワープロ並みにその場その場で編集(文字色、字体、大きさやその他斜 体、太さ等の装飾)を施した時との違いはどうなのでしょうか?。
そうした場合の「メリット」を知るための実験です。

初め、メモ帳ワープロで、構想に従って文の章、節に <p> <h1〜6> <div> などの タグを与えておけば、その後はもうその文章には殆ど手を加えずにすみます。肉付けは専ら「head」内 のセレクタ[p] [h1〜h6] [div]などのスタイルシートの調整(「値」の変更)をすることになります。 場合によっては適用セレクタ(=タグ)を増やしたり。[属性]や[属性値]の適用替もあり得ます」この ページでも背景色、文字色については数回変更しており初期構想とは異なってしまいました。

今回はページ完成後スタイル設定の一方法として、その「head」内のスタイルをすべて外部「フアイル.css」 に移しました。(必要の極一部を残して) それを、「head」内に<link rel="stylesheet" href="standerd1.css" type="text/css">を記述すれば読み込むことができるのです。
本来の使用法は、一つの「CSSフアイル」が複数のページにまたがって適用できることで、全ページに統一した スタイルが与えられることと、何より手間が省ける便利さにあります。

参照:シリーズものの
「利根川を替えた話」、      「赤松宗旦と利根川図志」
「一茶と利根町」、         「利根町の歴史-目次」
「町の神社仏閣由来ー目次」、  「まちの昔ばなしー目次」
「まちの昔ばなしー目次」、    「栗林義長物語」
「つぶやき-目次」、        &etc
では、外部スタイルシートの「standerd1.css」1個のみを使用し、「スクロールバー」や背景色等一部を「head」に記入しています。

実際にやってみて、訂正や編集が非常に行い易いこともあって、これが w3c が推奨する論理構造なのか ナーと思いました。

まえおきが長引いてしまいました。下はその新作です。「head」も「body」も非常に単純化されています。


利根町の昔話第2回

狂歌師抜村

ばっそんの人物漫画

布川の彦一か一休さんか!横町に住んでいた「ばっそん」そのトンチ話の数々を紹介いたします。
 出典:広報「生涯学習だより」ー「利根町昔ばなし第10話」
郷土歴史研究家ー長島平衛著(著者了承済)

昔、江戸時代布川が河岸場(かしば)として栄でいだ頃、ばっそんという狂歌師が住んでいだ

第一場

ある年の正月、ナベヤという大金持の家に早朝あいさづに行った。主人は急ぎ起きだし「顔をふく だけでいいがら、ぬれだ手ぬぐいを持ってきてくれ」と女中に言いつけた。顔をふきながら、ばっ そんの前に出てきた主人、よく見るとそれは手ぬぐいでなぐ、雑巾であった。朝早く台所が暗かっ たので、女中がとり違えで差し出したものである。「正月早々縁起でもねい」と主人は怒り出した。 これを見でいだばっそんは、
ゾウキンも 漢字で書けば 蔵に金 、顔も福ふく 奥も福ふく
とよんだ。雑巾なのだが、トンチで蔵金とよみ、ふくことを福とかけて狂歌によんだものである。

第二場

お百姓が田の草取りをしていだ。そごさ、ばっそんが通りかがった。

お百姓がからかう 「おおい、貧乏神どこさいぐだ
ばっそんが      「おらあ、おめえんち(家)へいぐだ」 と答えだ。

これを聞いだお百姓はカアツときた。なんとかトンチで仕返しをしてやろうと知恵をしぼる。 ばっそんの帰ってくる姿が見えだので

声をかげた。     「おおい、福の神どっからけえって(帰って) たんだよ
ばっそんが答えだ 「おらあ、おめえんちからだよ

第三場

ある年の正月布川の金持ちのところに、あいさづに行った。女中さんがお茶を入れて持ってきたド ビンがどうしたことか、つるがはずれて割れてしまった。正月から縁起が悪いと金持ちが怒った。 これを見たばっそんは、
正月に 鈍と貧が 立ちわかれ、後にのこるは 金のつるなり
とよんだ。

第四場

次のもばっそんの歌といわれでいる。
ある商人(あきんど)の主人
このごろは借してくれと借(かし)売りばかり、なんとかすぐ金を払ってもらえる 方法はねえですか?」 「ではこれを店の前に貼っておぎなさい」とばっそん
借しますと、仕入れますのに困ります。現金ならば安くまけます

しばらくして、その主人が言った
ところで大変言いづらいが、先生の借金はいつ返(け)えしてもらえるですか?
ばっそんが答えだ。
借りますと、もらった様に思います。現金ならばよそで買います


抜村の作品集

作家芦原修二氏(利根町史編さん委員)の
昭和52年メモ帖を引用させて頂きました。

その1 大字羽中の利根川近くに道句沼(どうこぬま)というのがありました。この沼は利根川の 地下水が流れ込み中々汲み干せないといわれる沼で(近年まで小川、また沼の水を汲み替えて魚を 捕る漁が行われ「クミケ」と称し田舎の一つのイベントであり私もわざわざ見に行ったものです) たまたま、この沼の汲み替えをしている所に通り合わせた抜村がその様子を見て
どうこうと 思案はすれど 水は干ず 沼が深いか 欲が深いか
と詠いました。

その2 十四ケ村(小林新田ー布川からの移民)で田もんぴき(水田作業用のももひき) が渋で染まったのを、ある所の泥で染めなおすのをみて
南無大師 遍照金も 田で染まる 紺屋さんらは 何で食うかい
大師(こうや)=高野山、食うかい、いずれも空海にかかっている

その3 布川台のいもを夜盗んで、わざわざ立て札を立てていわく
いもまでは長くお世話になりました親子いっしょに今夜ひきとる

その4 取手の祭りにゆき、山車のホコ飾りがウチワとミミズクなのを詠めといわれて
お祭りで 内は相談 づくだんべ 暮れにゃがらっと 奉公奉公

お祭りで 内は相談 づくだんべ 暮れにゃボロ着て 奉公(ほご)だんべ

その5 酒を呑んでいたゴロツキ7人に呼ばれ酒をすすめられ歌をつくれといわれて
七福神が とりまいて 貧乏神の 出どころなし

その6 徳満寺地蔵堂にて
延命地蔵よくできた台が小さくて いがい菩薩だ(いがい:大きい)

その7
恋の高須に 呼びこまれ 根を押し切られ 平のあやまり

その8 酒席に呼ばれて
やれやれと いわれて顔は 赤城山 ひたいに汗が 流れ山

その9
ひろびろと 心せわしき 野ぐそかな くそに四つ足ーこれがはじめて

その10
夜と昼と 一緒に来たか これだんな あいた眼もあるとじた眼もある

その11
場損に先をこされて 何もなし 買うというても顔赤沼(場損=抜村)

その12 利根町大字の地名7個所を読み込んだざれ歌 利根町図(84Kb)をご参照下さい。

早尾 横須賀 よこさぬか よこさぬ限りは 中田切 大房 お腹が 立木 でも 惣新田 には 加納前 (または 加納米
                    (11.3.7記)

 

「バッソンあっちこっち」
布川、藤代、流山の話

出典:広報「生涯学習だより」「利根町昔ばなし 第32話」
利根町史編さん委員 芦原修二著

このめえ福祉センターサ行ったらばヨ、そこに集まっていた人たちの間で、 「早尾、横須賀、よこさぬか、よこさぬならば中田切、大房おはらが立木でも惣新田 には加納めえ」という歌が話題になってナ。この歌は布川の横町に住んでいたバッソ ンという魚屋がつくったんだといわれていっとなア。

バッソンは狂歌がうまくて、布川や今の利根町周辺だけでなくてサ、もっともっとひろく名 が知られていたんだとヨ。

これは藤代の人に最近聞いたんだけど、高須の方サまで魚売りに行っていてネ。売り物の鯉を値 切られてつくったのがこんな歌だと。
バッソンが声(鯉)は高須と呼びこまれ値は押切じゃ平野あやまり
高須も押切も平野も小貝川べりの当時の村名、今は藤代の大字名だからよオ、「大房おはらが立 木でも・・・」の類だっぺネ。

それがら、もっと遠いところだと流山でつくった歌もあんだよネ。今の千葉県の流山市。あそこ の赤城神社とうのは、前方後円墳みたいに独立した大きな丘の上サ立てられていてね。この丘は 利根川の大洪水の時、赤城山の一部がくずれて流されてきたんだそうだ。そんで、あそこは流山 という名がついたんだと。

そごサ遊びに行ったらばヨ、バッソンの名前はそごでもようぐ知られていでサ、狂歌つくってみろ、 つくってみろとあんまりしつこくいわれで・・・。
やれやれといわれて顔は赤城山ひたいに汗が流山
とやったけど。

印旛沼岸のジュウシカ村(印旛沼の開発で十四の新しい村ができてつくられた地域名)のあたりサ 行った時はナ。沼べりの田んぼの泥で田もんぴきを洗っているお百姓がいてサ泥でももひき洗う馬 鹿もねえもんだナと見ていたら、色あせた紺色がみるみる濃くナるじゃねえのヨ。びくりしたバッ ソンがつくった歌は、
南無大師遍照紺も田で染まる高野山(紺屋:こうや)さんらは何んで空海 (食うかい)

説明いっかな? 高野山は弘法大師が開いた仏教の大聖地。弘法大師のお名前は空海、というわけサネ。

(この項と前段の「その2」とでは、用字用語が違っていますが、どちらが正しいか不明です。また、前段と重複してい ますが、意味合いが分かりそうなので掲載しました。)

この頁へいらして下さいまして有り難うございました。 ばっそんの敬礼漫画 さようなら。

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