元利根町立文間小学校教諭 高塚 馨 著

栗林義長物語

第二部

義長初戦をかざる

多賀谷淡路守政経は諸将を集めて話をしている。「このたび、栗林治 郎義長という青二才が総大将となって福岡に陣をひいている。だれか 行って追い散らしてこい。」と。すると田村弾正という者、前に進み 出てて、「それでは、このわしがちょいと行ってけ散らしてまいりま しょう。なに、あんな青二才、このわしの顔をみただけで逃げ出すわ い。」田村弾正は700人の家来を大船50そうにうち乗らせ、小貝川 を福岡めざしてやってきた。

一方、栗林義長は軍を4つに分けて待ちかまえた。まず、荒井治郎の ひきいる300余人、小舟に乗って真正面から弾正の軍へ突進してい った。しかし少しチャンチャンバラバラとやったでけだすぐ陸をめざ して逃げ出した。「何と弱いやつらよ。と勢いづいた弾正軍、まっし ぐらに追いかけた。ところが弾正軍が荒井勢に気をとられて岸に近づ いたところを、右かげから豊島紀伊守ひきいる400余人、「まって いました。」とばかりに飛び出した。続いて左のかげからは土岐大膳 ひきいる400余人「弾正かくご」とあらわれいでて、弓、鉄砲を雨 のように打ち放った。それに先ほどまで逃げ腰だった荒井の軍勢が回 れ右して「作戦と知らずに追いかけてきた大馬鹿者、命はもらった覚 悟しろ。」とせまってきた。

「しまった、はかられたか。」、と思った時はもう間に合わない。弾 正軍は散々に打ちまかされていた。そしてとうとう大将の弾正は豊島 紀伊守の矢に当たってまっさかさまに川の中へ落ちて死んでしまった 。それを後ろでながめていた多賀谷政経は「弾正の馬鹿め、まんまと 敵の作戦にはまりおった。よし、このうえはわしが自から行って、や つらをけ散らしてやる。ものども続け。」2千人の軍勢をひきつれる と政経は、わき目もふらずに走り出した。が、その時早く、かの時遅 く、とはこのこと。左右の林の中や畑の中から出るわ出るわ栗林の軍 勢雲のし、と言ってもわずか1500人。それがいっ一ぺんにときの 声をあげて飛び出したものだから、多賀谷の軍からみればそれが2万 にも3万人にも見えた。おどろいた多賀谷の軍は我先にと逃げのびて しまった。
義長はこのように、はじめから、こうすればこうなると読んでいて、 昨夜のうちに軍勢をそこにかくしておいたのである。

不思議な夢

多賀谷政経は、義長との最初の戦いに散々打ち負かされたのを非常に くやしく思った。何とかして義長軍をやっつけたいと考えていた。そ こで、「今度の戦で彼に負けたのは水上での戦いにこちらの軍がなれ ていなかったからだ。福岡軍をやつけるには船軍のかけひきがうまく ならなければならぬ。だれか水上での戦いのうまい者はいないか。身 分の上下は問わん。」と諸将を集めてどなった。すると、粕谷治部が 前に出て、「それならば池田庄三郎にまかせればよいでしょう。彼な らば船の戦さにかけては日本一です。庄三郎を使いなされ。」と申し 出た。政経は大変喜んで、すぐ池田庄三郎を呼び、船軍の大将に任命 し、船軍になれた猿島勢500人を選んで調練させることにした。 

池田は「我が出世するのはこの時をおいてない。よし全力を打ち込ん で調練し、必ずあのにっくき青二歳、栗林義長とかいうやつの首ねっ こをへし折ってやるぞ。」と朝は暗いうちから、夜おそくまで一心に 指導を重ねた。船軍の名人が船軍になれたものの中から、よりすぐれ た者達を熱心に調練したものだから、その進歩は大しあものであった 。太鼓のたたき方一つで直進したり、左右にパッと開いたり、さっと 後ろに引いたりと自由に船をあやつれるばかりか、2〜3メートルも 離れた船から船へと軽々と飛びこえ、まるで陸の上のように走り回れ るようにまでなった。政経はこの様子を眺めながら、心ひそかに喜ん だ。これで今度の戦さは我々の勝ちだ。義長の泣きっ面を早く見たい ものだと思った。

一方、義長は、このうわさを聞くと自分から確かめてみなければいら れなくなった。2〜3の家来を引き連れ、百姓の姿に身を変えてひそ かに小舟に乗って水海道近くまでこぎ寄せ、敵の様子をうかがってみ た。するとかがり火をたきながら、船上で実に素早く動き回る人影を 見つけた。それも一人の人の太鼓の合図で実によく統制がとれた見事 な軍隊であった。「あれが池田庄三郎だな。」義長はその様子をほれ ぼれとしてがめていたが、思わず「うーん。」とうなってしまった。 敵の中にもあんな優秀な人間がいるのだ。これは大変なことになった ぞ、と思ったのである。

福岡より引き返した義長は毎日思案にあけくれた。いかにしてあの水 軍をやつけるか。どう考えてもよい考えは浮かんでこなかった。ある 日の事でした。義長はいつもの様に目をつぶって静かに作戦を考えて いたが、ついうとうとと眠りの中にさそいこまれてしまった。すろと 突然、目の前に文字が写ってきた。だれかの書いた手紙である。その 内容はさっぱり意味のわからぬ文面ではあったが、最後の方に書いて ある差し出し人の名前だけははっきりと頭の中にしみこんだ。池田庄 三郎という5文字である。夢からさめると義長は、「何と変な夢をみ たものよ。」とにが笑いしながら、また作戦を考えはじめた。  (1999.10.27)

徳庵を逆にだます

多賀谷政経、今日も吹上で船軍調練の様子を見回り、満足しながら城へ帰って きた。するとそこに、近くに住む中村徳庵という医者がたずねてきていた。 「何だ。徳庵、わしは病気でもなし、けがもしておらんぞ。これこの通り元気 でピンピンしておるぞ。」気げんのよい政経はにこにこしながら徳庵をからか った。「それは何よりでございます。」徳庵もにこにこしながら、そこまで言 ったが、急に真剣な顔になると「ちょっとお耳にいれたいことがございますの で、何とぞお人払いをお願いします。といい出した。政経も徳庵があまり真剣 な顔をしているので、家来達を次の間に引き下がらせた。

「実は殿様、わたしは昨夜ふしぎな夢をみました。きつねのような白髪の老女 がわたしの前に立ち『徳庵そちは政経の家来であろう。それならば今度の戦い に政経を勝たせたいであろうう。そこでわしがお前によい知恵をさずけてやろ う。多賀谷軍は池田の調練によって水軍が素晴らしく強くなった。しかし、こ ちらから攻めていったのでは、もし勝ったとしても、相手も知恵者義長のこと 、どんな作戦を立てて待ちかまえているかも知れないので、味方も相当な損害 をこうむるであろう。そこで余り損害を受けないで福岡軍を全滅させる方法を わしが教えてやろう。

それは敵をこちらにおびき寄せるのだ。そして敵が近づいてきたところを左右 前後から総攻撃する。そうすれば、こちは手なれた水軍を持っている。相手は いかに大軍でも散々に打ち破ることが出来るぞ。そこでだ。どうやっておびき 寄せるかだが徳庵、お前は敵の一方の大将である横瀬主膳とむかし知り合いで あったろう。あれを使ってうまく義長に近づき、今が攻めるのに一番よい時だ というように言葉巧みにだますのだ。どうだよい案であろう。ひとつ政経に相 談してみろ。』というとスーッと消えてしまったのでございます。如何でござ いましょう。わたしもあなたのためひとはだぬぎたいと思っています。ぜひ行 かせてくれませんか。」

「おお、それはよい考えじゃ。わしも今までそう思っていたのじゃ。徳庵たの むぞ、これは神の助けかも知れぬ。さい先よいぞ。ワッハッハッハ。」政経は 心から大声で笑った。

徳庵は私宅に帰り急いで仕たくをすると一人で福岡さして出発した。福岡へ着 くと、船より上がり横瀬主膳の陣屋へまっすぐ向かった。主膳は徳庵がたずね て来たことを知ると、「おお、徳庵めずらしいな。お前は下妻方の家来になっ たと聞いていたが、どうしてここへ来たのだ。」と聞き出した。「はい、そのこ とでございますが、多賀谷のやつが強くなり、水海道も攻め取られどうにもな らなくなり、それがし、心ならずも下妻方の家来となったが、政経は乱暴者で 諸士のいましめも聞かず、みだりに人を殺し、いばりちらし、仲間の大将達を 馬鹿にいたしております。こんな人の家来になっていたのでは将来が思いやら れるのでそっと逃げてきたのです。これから上総房州へ行こうとここまで来た のですが、この戦国の世、いつ再会できるかもわからぬ行く末が心細く、昔好 味のあなた様を思い出し、ちょっと立ち寄っておわかれの挨拶にあがったので す。」と徳庵は涙ながらに返事をするのであった。

「そうか、それは気の毒であったな。まあよい。しばらくはわしの所におれば よいだろう。それからどうすればよいかを考えればよいだろう。」主膳は徳庵 を奥へ通し、ごちそうをしながら多賀谷軍の様子をききだした。多賀谷滅亡も 間近であろうということを聞いた。主膳はひそかにそのことを軍師の義長に告 げた。「義長殿、わたしの昔の友である中村徳庵という者が、今わたしの陣屋 にきています。」そして政経のうわさを聞くところによりますと、彼は人を軽 んじ、恥かしめ、酒や女に身をやつし、諸士のいましめもきかない故に諸将た ちの中に背くものが多いので、今攻めてしまえば簡単に滅ぼせるということで す。」義長はその言葉を聞くと、ははあ、これは多賀谷の回し者だなと気がつ いたがそしらぬふりをして、「そうか、それはありがたい。その者に会ってわ しも話をしてみたいものだ。あとでここへきてくれないか。」と主膳に向かっ て頼んだ。  (1999.11.12)

主膳が帰ったあと、義長はどうしたらよいかをしばらくの間考えていたが、そ のうち何か思いついたらしく、はた、とひざをたたいた。そしてすずりを取り よせ、何かを紙にていねいにしたためた。やがて、主膳につれられて中村徳庵 がやってきた。「おお、あなたが有名な徳庵殿ですか。あなたが人徳のある方 であることは聞いて知っていました。あなたにお会い出来たことはとてもうれ しいです。」と義長はていねいに挨拶した。

「これは恐れ入ります。あなたこそ誠に師の徳広く、天下の人々には皆その素 晴らしさを賞めたたいております。そんなお方にそれがしのような下人がおめ にかかれるのは本当に幸せに存じます。」と徳庵もてい人ねいに挨拶をかえした 。

義長は酒を出させ、酒宴に入った。しかし、百姓の話や医者の話ばかりして、 いつまでたっても義長は水海道の様子を聞いてくるふうはなかった。いらだっ た徳庵はたまりかねて、ふと今思いついた様に言葉を発した。

「あなたの戦さ上手は天下に聞こえ、日本の公明といっても恥ずかしくないほ どだとみんなが賞めていますよ。」すると義長は盃をそっと置き、ほほえみな がら、「水海道の軍勢はどれくらいですかな。」とたずねた。徳庵はしめた、 と心の中で思いながら、「今、政経は方々の城を攻め落とし、降参した者をを 合せて大勢になっているが、彼は酒色にふけり、諸将のいましめもきかず政治 が乱れて、うらみを抱く者がたくさんいます。今、あなたが福岡軍を引きつれ て水海道を攻めればあそこはたちまちあなたのものになるでしょう。敵方にわ たしと心の通じている者も多勢いますので、わたしが計略を用いてあなた方を お助けいたします。」と一気にしゃべった。

「それはありがたい。しかし、あなたにそんなことをしていただかなくとも、 もうこっちには手が打ってあるのです。敵方の中で、もうこちらに内通する者 があって、下妻勢を一気にやっつける計策はできているのですよ。その方が降 参してここにやって来ますから、まあゆっくり見ていて下さい。」と義長は落 ち着きはらって徳庵に向かって話かけた。びっくりした徳庵は一寸顔色を変え たが、すぐ何気ない風をよそおった。「そうでしたか、それは結構でした。と ころでその方はどなたですかな。」と聞きかえした。義長は徳庵のが顔色が変 わったのを見逃してはいなかったが、そしらぬふりをして言った。

「池田という者じゃよ。」「池田、池田といえば庄三郎のことですか。」「そ うです。確かに池田庄三郎ですよ。」「それは不思議ですな。彼は水軍の大将 に指名され、下妻方無二の忠臣で、今、吹上において、船軍、人馬を調練して いるのです。彼が何を不足で寝返りをうつのかわからない。多分それは敵の策 略ではないかと思いますよ。おきをつけなさいませ。でもそれは本当に本当な のでしょうか。」「本当のことですよ。信用しないのなら、その証拠を見せま しょう。」義長は奥に入って行くと何やら書状を持って出てきた。それは、さ っき主膳が徳庵をここえつれてくる前に書いておいた書状だった。義長はった めしてみたかったのである。あの夢の中に出てきた池田庄三郎の字が本物であ るかどうかを。義長はその書状を徳庵に見せた。彼はそれを見てびっくりした 。それは疑いもない池田の字そのままだったのである。 続く(2000.1.21記)

しかし徳庵とてただ一人敵地にのりこんでくる程の大胆な男である。少しも顔 には現わさず、「おお、これは確かに池田殿の筆跡にまちがいありません。お めでとうございます。これで水海道はもうあなたのものになったも同然です。 ではわたしも一足お先に水海道に帰り、池田殿と心を合わせ、あなたのお出馬 をお待ちしております。」と申しのべれば、義長大いによろこんだふりをして 、「そうか。あなたもわたしを助けるとおっしゃるか、それはありがたい。 それではその旨、池田殿に書状をしたためてあげましょう。」というと、すず りを取り寄せ、スラスラと手紙を書き出した。書きながら、義長は「ああ、あ の時、夢の中で見せられた手紙は祖母の加護なのかもしれない。」と信じた。

書き終ると徳庵にその手紙を渡した。「重ね重ねの御親切心から御礼申し上げ ます。しかし甘えついでにもう一つお願いがございます。もし万一池田殿が信 用しないということもございますので、出来ますれば、池田殿からの書面をい ただければありがたいのですが。」「うん、それもそうだな。ではこれもお持 ちなさい。でも決して他の人に見せてはなりませんぞ。池田殿が不利になるか らな。と言って書面も徳庵の手に渡した。徳庵はそれをふところに入れると、 横井主膳に挨拶をすませ、急いで水海道へ帰った。

池田庄三郎手打ちとなる

徳庵が水海道へ帰り本陣へ入るやいなや、多賀谷政経はたちまち彼を見つけて 、「徳庵、なぜこんなに早く立ち帰ったのだ。」と小声で言った。「はい、わ たしが福岡へ行って知略を以って義長をだまし、いろいろ調べたところ、お家 に大変なことが起こりそうなので、早々に帰ってきたのです。」といって、義 長から池田庄三郎宛に書いた手紙を差し出した。政経は、その書状を急いで封 を切り、読み終わると徳庵をにらみつけ「お前はそんな人間ではないと思って いたが、何というやつじゃ。池田はわしの無二の忠臣だ。それはわしが一番よ く知っている。これは庄三郎を殺させようとする義長の謀りごとじゃ。馬鹿者 。まんまと策略にはまりおって。」と大声でどなった。

「いや、そんなこともあろうかと思って、その証拠を持って参りました。どう ぞよくご覧下さい。」と差し出した書面を見て池田の字にまちがいないことを 確かめると、政経の手はぶるぶるとふるい、顔は青ざめ、しばしぼう然となっ た。「どうです。納得がいきましたか。わたしもこの証拠をはじめて見た時は 怒りにふるい、どうにもなりませんでした。急いで帰って来たのもこのためで す。もう一時もゆう余はありません。今すぐ池田を殺し、後の禍いを除かない と大変なことになりますぞ。」そう言われて政経はもう心を決めた。そしてす ぐ吹上に使者を立て池田を呼び寄せた。 (2000.3.8記)

庄三郎が本陣につくやいなや、政経は烈火のように怒りふるえ「やい、庄三郎 そちはよくも今までわしをだましおったな。わしが目をかけ水軍の総大将にしてやったのに、その恩もわすれ、敵の大将と意を通じ、このわしをだまし打ちにする気だったとは何ごとか。恥を知れ、恥を。」とどなった。

おどろいたのは庄三郎、身のおぼえのないものをこの有様。ふと横を見るとそこには中村徳庵が政経のそばに離れずにいる。さてはこいつの入れ知恵だなと考えた。「殿、何ということをおっしゃいます。それがしには全然身に覚えのないこと、どこのだれともわからぬ馬鹿者の入れ知恵に心を動かされ、このわたしを悪者にするのは得策ではありませんぞ。水軍を動かし、もうすぐ敵をやっつけようとしている大事な時ではありませんか。」と徳庵をにらみつけながら庄三郎は言い返した。

「だまれ、庄三郎、ぬすっとたけだけしいとはうぬのことだ。殿から水軍の大将に任命さらたのをいいことにして、それをそっくり自分のものとして相手に献上し、情を受けた殿をあざむき、だまし打ちにしようとする心根がにくいわ。それ、この証拠を見ろ。うぬの字ではないか。」「なに、わしの字だと、どれ。」急いでその書面をひったくって見れば。こりゃいかに。自分の字にそっくりではないか。「うーん。」と庄三郎はうなった。どこのどいつが書いたのであろう。それにしても見事にまねたものよ。感心と恐ろしさで青くなった。

「どうだ、かんねんしたか。庄三郎。」「いや、これは確かにそれがしの字によく似ている。しかし、それがしが書いたものではない。信じてください、殿。」「何をつべこべと寝言を言っているのだ。これはそちの字にそっくりじゃ。だれがこんなにそっくりにまね字をする事ができるものか。にっくきやつめ、かくごしろ。不忠者め。」というが早いか、刀のさやをぬぎすて、政経は、庄三郎の首を切り落してしまった。そして秋葉縫殿之助を船軍の大将に任命すると、池田の子の庄治郎を打ち取って参れと命令した。縫殿之助は急いで吹上へ行き、庄治郎を見つけたが、その時はもうだれか内通した者があったとみえて池田一族はすでに筒戸へ落ちたあとだった。

池田庄三郎が手打ちになったという知らせは、その日のうちに義長の潜入させておいた間者によって彼の耳に知らされた。義長は池田を気の毒に思ったが、今は戦国の世の中だ。彼を生かしておいては、こちらの身がほろぼされるのだ。義長はニッコリとほほえむとこれで今度のいくさはこちらの勝ちだ。池田さえいなくなれば、多賀谷軍が何万何十万攻めてこようと決して負けはしないぞと心に思うのであった。 (2000.3.30記)

トップページへ戻る    ページのトップへ    栗林義長物語第三部へ続く

inserted by FC2 system